わたしの喫茶店
- 建吾 安藤
- 7月1日
- 読了時間: 2分
更新日:7月10日

喫茶店が好きだ。
ずーっと事務所で仕事をしていると
気分転換に場所を変えたくなることもあってか、喫茶店に行くことが多い。
どこの喫茶店でも良いかというとそうでもなくて、
自分のアンテナに引っ掛かる喫茶店がどうもあるらしい。
そのアンテナというのは、
一言でいうと「良い佇まいが漂う」に尽きる。
じゃあこの漠然としている良い佇まいって何?を突き詰めていくと、
昔からそこにあるような店構え、ちょっと薄暗い店内に小さな明かりが灯り、
コーヒーの香りが店先まで漂い、窓側席なんかもあったりして、
オーナーこだわりのカップ&ソーサーなんかが並んでいる。
落ち着いたBGMが流れていて、お一人様でも行きやすく、、、
そんなことを想像していると、
昔のおばあちゃんの喫茶店がチラチラと頭をよぎる。
祖母と祖父は定年退職をしてから小さな喫茶店を始めた。
早くに祖父は亡くなってしまったが、
祖母はその後も一人で喫茶店を切り盛りしていた。
小さな頃、そのおばあちゃんの喫茶店に行くと
クリームソーダをよく出してくれて、
それを飲みながら店内にかかっていた演歌を幼いながらよく聴いていた。
よく分からない謎のピエロの人形、
手作りの鶴の作品、
おばあちゃんの趣味だった社交ダンスの輝かしい写真など、
今思い返すとクスッと笑ってしまうような物で店内は彩られていたが、
長年常連客が足繁く通い、地元で愛されていた喫茶店だった。
店内はいつも暗くて、夏の日差しが強く暑い時に店に入ると
急に暗くなってキンキンに冷えた店内がとても心地良かった。
今思い返すと北側道路に面していたので、店の窓は全て北側。
当時窓側によく常連のお客さんが座っていたが、
北側の光は優しく何だか心地良いというのは小さな頃の記憶が覚えている。
北の窓から見る光庭(南庭)、というのは京都の町屋や寺院でもよく見かけるが、
暗い場所から明るい外を見るのは日本的な美しさが在り、とても居心地の良いものだと思う。
そんな記憶が今も私の喫茶店の原風景としてあって、
どこかでおばあちゃんの喫茶店を重ねながら
アンテナを張り巡らせて喫茶店に通うのかもしれない。
そんなことを思いながら、
自分だったらこんな喫茶店が良いな〜、とかついつい考えてしまう。
そう、もっと考えなきゃいけない締め切りが迫っているプランがある時に限って。
いつか、喫茶店の設計なんかもしてみたい
と夢見ている。
2025.7.1 ando.Y